「精神疾患の親を持つ子供」を見た感想

先日EテレのハートネットTVで精神疾患の親を持つ子供というテーマで放送がありました。それについて思った事をいくつか書きます。

1.私もそうなのだと気付いた

   番組には同じように悩みを持つ人からのカキコミがあり、その中に「親が依存症だった」というのを見つけました。それまで精神疾患というのは統合失調症や鬱のことだとばかり思いこのテーマを他人事のように見ていたのですが、依存症も含まれるのかと考えてると俄然自分に(自分の親に)当てはまり、そうして番組を見ていくと、当事者として出演していた女性が話す子供時代の苦労話に物凄く共感したのでした。

   私の父親アルコール依存症でした。しかしこれは今思えばです。当時は、アルコール依存症というのは、お酒を飲まなければ手が震える、自分の収入にそぐわない程のお金をお酒に使う、生活費を使い込み家族を困窮させるというものと思っていました。父はそれにはどれも当てはまらなかったのです。

   毎日のように家でも外でもお酒を飲み、母に絡み不機嫌になり、父の脅すような怒鳴り声を聞かされて夜中じゅう私は眠れませんでした。確かにそれは「毎日のように」であり「毎日」ではありませんでしたが、「今日も寝させられないのかもしれない」と怯えるという意味では毎日でした。

   しかし父はそんな風に酔った翌日も遅刻もせずに仕事に行きました。給料日には給料袋の封を切らず(当時は現金支給でしたので)持って帰りました。裕福ではありませんでしたが暮らしてはいけました。だだ朝になると昨夜そんな風に酔って暴言を吐いたことはすっかり忘れている風なのです。

   自分の親がアルコール依存症だと認めたくないという気持ちもありました。なぜなら父にはお酒に逃げざるを得ない強いストレスを感じる理由があることを知っていたからです。(このことについてはまた別の機会に書こうと思います)今、振り返って見るとお酒に頼っていたという意味では紛れもなく父はアルコール依存症だったと思います。

   誰に相談すればいいのかわかりませんでした。学校の先生の家庭訪問が夜中にあれば分かってもらえるのにと思いました。同居していた祖母(父の母)に警察に相談しようと言ったこともありました、自分の親を警察に突き出すなんてとんでもないと一蹴されましたが。祖母は普段から私に「お前の父親は普通じゃないんだ、わかるだろ、諦めろ」と言っていました。児童相談所という存在を知っていたら駆け込んだかもしれませんが、当時はそういったところに繋いでくれる人もいませんでした。

   大学四年の時父がくも膜下出血で倒れ寝たきりになりました。その年の年末とお正月は忘れられません。父が倒れて初めて我が家に平穏が訪れたのです。22歳にして初め

 

て迎えた穏やかなお正月。父がお酒を飲んで暴れる心配の無いお正月です。

   出演していた女性の「誰にも相談できなかった。家族の恥だと思っていた」という言葉に、ああ私もそうだった、私も「精神疾患の親を持つ子供」だったのだと思いました。

2.アドラー心理学はどう対抗するのか

   出演していた女性はそんな環境に育ちながらも医学部へ進学し、現在は精神科医になっていらっしゃいます。しかし今でも子供の頃のことがトラウマで精神の安定を欠いているとおっしゃっていました。自分自身が精神科医になってもなお苦しめられるトラウマとはなんと根の深いものでしょう。

   ところで最近話題になっている本に「嫌われる勇気」というのがあります。アドラー心理学を用いて物事への思考パターンを変えることによって、対人関係による生き辛さを克服しようとするものです。

   アドラー心理学はトラウマを否定しています。例えば、今の自分が対人関係など物事をうまくすすめられないのは過去の自分が受けたトラウマが原因だとするのがフロイトの原因論ですが、アドラーはうまくいってない現状を説明する目的で、過去の体験を持ち出しているに過ぎないと言います。つまり目的論なのです。

   その考え方に私はとても納得しました。よく自分が子供に虐待してしまうのは、自分自身が子供の頃に親から虐待されていたためだという話を耳にします。こういう話を聞くたび私はいつも疑問を感じていました。それって本当だろうか、自分が虐待してしまうことへの言い訳なんじゃないかと思っていたからです。アドラーの目的論がまさにそれでした。

   しかし涙ながらに自分の苦悩を告白するこの精神科医の女性を見て、私はわからなくなりました。精神科医になる為に心理学をどの程度学ぶのかは知りませんが、少なくともこの女性がアドラー心理学を知らないはずはないと思うのです。なのにこんなに今も苦しんでいる。本当にアドラー心理学は、トラウマを抱えている(と思い込んでいる)人にとって福音をもたらすものなのでしょうか。

3.Eテレに出来ること

   またなにげなくEテレを見ていると、折しも「100分で名著」という番組でアドラー心理学をやっており、著者の哲学者の先生が出演され、「嫌われる勇気」も取り上げていました。

   そこで思ったのです。同じEテレ内で「トラウマに囚われ今現在も悩んでいる女性」と「トラウマを否定する哲学者」が、違う番組とはいえ同居している。ならばいっそこの二人を対決させてみてはどうだろう。是非そういう番組をやって欲しい。そして私の中のモヤモヤを解決して欲しい。

  いやちょっとそれは乱暴かもしれないけど、せめてこの女性にこの哲学者のカウンセリングを受けて欲しい(この哲学者は実際カウンセリングを行なっているそうですので)。その仲介ぐらいEテレはできるのではないだろうか。

 

 

 

目標は子供を産むことではなく幸せになること

少し前、ある男性タレントさんが結婚後程なくして離婚され、その離婚原因について複数のタレントさんから追求されるという番組が放送されました。その離婚原因は子供に対する価値観の違いだったというのです。

男性タレントさんはもともと、結婚しても子供は欲しくないと思っていたそうです。相手の女性は子供を望んでいたそうです。この子供に対する価値観の違いは結婚前からわかっていたのだと言います。周りのタレントさん達からは「じゃあ何で結婚したのか?」という質問が飛びました。彼は「結婚すれば子供が欲しいと思えるようになるかもしれない。彼女にもそう説得された」と言いました。しかし結果は、結婚しても彼の価値観は変わらず、子供を作るという点での夫婦の溝は埋まりませんでした。

ではなぜ子供を欲しくないのか?という質問がされました。彼は「責任を負いたくない、自信がない」的なことを申し訳なさそうにつぶやきました。それに対して1人の女性タレントさんが「(それってあなたが精神的に)子供なんじゃない?」と言いました。その場にいた他のタレントさん達もこの女性タレントさんと同意見らしく彼は肩身が狭そうにしてその話題は終わりました。

番組の都合とはいえこの話題がこれで終わってしまったことを私はとても残念に思いました。また、それまで私はこの男性タレントさんのことがあまり好きではありませんでしたが、この一件を見てとても好感を持ちました。

結婚して子供を作るということを「当たり前」と捉える風潮はまだ根強くあります。私の母に「なんで結婚したの?なんで子供を産んだの?」と聞くと「年頃になれは結婚して、結婚すれば子供を作るのが当たり前だったから」と答えました。そこに自分の意思や「なぜ?」という疑問はありません。もちろん母の世代でも自分の意思で考えで結婚出産した人たちはいると思います。しかし私の母のように流されるように世間の風潮に従った人も少なくなかったと思うのです。

そうした親世代を見てきたせいか、私たちは立ち止まって考えるようになりました。本当に結婚したいのか?子供が欲しいのか?育てられるのか?その結果少子化は進みました。

私たちの最終目標は幸せになることだと思うのです。子供がいて幸せな人もいれば、そうじゃない人もいる。それぞれが自分の幸せを考えてその結果少子化になっているとしたらそれでいいんじゃないでしょうか。子供がたくさんいる方がなんとなく国力が高くて賑やかで将来安泰なような気もしますが、少数だって、その少数が両親に望まれ生まれて、家庭が幸せならいいんじゃないでしょうか。たくさん生まれて、中には望まれない子もいて虐待されて不幸になるより、本当に子供が欲しいのかよく考えて産む方がいい。

 

 

女性タレントさんは彼を「子供だ」と言いましたが、私はむしろ思慮深い大人だと思いました。「責任が持てない」という発言も責任感があるからこそだと思ったのです。

 価値観の違いに正面から向き合って離婚を決断したことも勇気がいることだし、離婚して、子供が欲しいと考える奥さんを自由にしてあげることで、その女性にはまた、同じように子供を望む男性と再婚するチャンスだって与えてあげているわけだし。子供は欲しくないという気持ちを捻じ曲げて結婚して、子供が生まれてもやっぱり欲しかったとは思えないけれど、なんとなく流されて、みんなこういうもんなんだと思って生活するよりはよっぽど自分に正直に生きてるし立派だと思う。もしかしたら、本当に子供が欲しいのかどうかよく考えもせず、親になってしまって不幸になってる家庭だっていっぱいあるのかもしれないのだから。

 

娘がいたら伝えたい結婚相手選びのポイント

初めに言っておくと私に子供はいませんしこれから産まれる予定もありませんが、「もし娘がいたらこれだけは言うのに」という事が溜まってきましたのでココで吐き出させていただきたいと思います。未婚の方の参考になればと思います、いえ、ただのストレス解消です。

婚活パーティーや結婚相談所に登録する時などに、第一に相手の年収を挙げる方も多いと思いますが、私に言わせりゃ愚の骨頂です。年収なんてのは最大瞬間風速みたいなもので、全くアテにできるものではありません。毎年年末に放送される「プロ野球戦力外通告」を見てもわかるように、結婚する時、億稼いでいても翌年、5年後、10年後の保証はどこにもありません。一般人はそこまでギャンブル性は高くないかもしれませんがこんなことより大事な事は他にあります。

まず最初に相手に聞く事は「子供の頃夏休みの宿題はいつやったか?」です。これを聞くことによって相手の計画性の有り無し、性格、物事に対する考え方がわかります。もし、「8月31日に慌ててやった」と答えた人は、何事においても計画性が無く、行き当たりばったり。嫌な事はなるべく避けて通るタイプで、人生における難題にもなかなか向き合おうとしません。よって結婚にはあまり向かないかもしれません。結婚は難題山積ですから。こうした計画性、問題解決能力は仕事をする上でも重要ですから出世や将来の年収にも関係することです。

次に両親の病歴です。多くの病気が遺伝によってもたらされることを考えると将来相手が罹る病気のリスクが分かるし、両親の介護が早く始まりそうかも予測できます。祖父母の死因なんかも聞き出せるとより良いでしょう。

それに関係していますが、両親が介護状態になった時に誰の世話になるかを確認しておきます。まだ若く元気な時は決まって「子供の世話になるつもりはない」と言うでしょう。しかしそれを鵜呑みにしてはいけません。私の舅姑も結婚した当初はそう言っていましたがいざ介護状態になると態度が一変しました。もし子供の世話にならないと言われたらすかさず聞きましょう、「では誰の世話になるのですか?」と。こう切り返されて即座に施設などの人手に頼るという答えが返ってきたら、その旨を一筆書いておいてもらうのが良いでしょう。

それから両親が何人兄弟で何番目かを確認しておきましょう。昔の人は兄弟が多い人がいます。大勢の親戚との付き合いは何かと厄介なものです。しかも親が長男だったりすると特に田舎では大変です。冠婚葬祭関係にいちいち呼び出され出費もかさみます。親が早くに介護状態になれば代わりに自分たちがその仕事をさせられます。

両親関係が続きましたが、両親は将来の相手の姿です。自分たちの将来を予測する上で貴重な資料ですので、本人よりむしろ重要かもしれません。